思うこと
日々過ごしていく中で、いつも意識していることがあります。
それは、「口角をあげる」「やりたいこと、なりたい自分をイメージして言葉に出す」「マイナスな言葉をなるべく口にしない、そういう会話には極力加わらない」「楽しいこと、ワクワクすることを考える」です。
今までの私なら、マイナス思考で嫌なことがあるとそれが態度に出たり愚痴っぽくなったり、先のことを考えて今を楽しめないでいました。
疲れてしんどくなると、また愚痴っぽくなったり何もやる気が起きなかったり・・・。
なんで自分ばっかりこんな目にあうんだろうって考えていました。
こういう思考こそが、よくないことを引き寄せてさらに状況が悪くなるということに気がついていなかったんですね。
「ポジティブ思考」とても大事です。
でも、それ以上に大切なことは「何事にも感謝すること」。
そして、「謙虚さを失わないこと」。
どんな出来事に対しても感謝できる人は、とても謙虚だしいつも笑顔で輝いていると思います。
私は常にそういう自分であり続けたいと思います。
自分の「弱さ」に負けないで、太陽のような存在でありたいと思います。
挑戦し続け負けない自分でいようと努力することは、自分自身を成長させるために不可欠だし、そうやって成長し続けることで身近にいる人たちの支えになれる存在にもなれると思います。
私は今は家族との時間を優先しています。
父親との関わりをできるだけ持つことで何があっても後悔しないように、弟がしっかり自分の人生を充実して過ごせるように、幸せに向かうように支えられるように。
そのために私自身、さらに成長し続けること。
私自身やりたいこと、もっと勉強したいことがたくさんあるので、そちらもおろそかにせずに努力し続けていきたいと思います。
沖縄での日々
何回か記事で触れていますが、私は去年の7月まで沖縄で暮らしていました。
暮らしていた期間は1年弱と短いものでしたが、本当にいろんな経験をさせてもらった期間でした。
最初は沖縄に移住するつもりで引っ越ししました。
仕事に追われすぎて疲れきってしまっていたし、何より管理栄養士免許を取得したい思いが強かったから。
予想外に恋愛が絡んできてしまって、沖縄に引っ越すこと自体に迷いが生じていたのも事実ですが、以前記事に書いたように目的と意志をもって引っ越しを決めたので引っ越しを中止する選択はできませんでした。
引っ越ししてしばらくは恋愛でいろいろ問題があったので、そのことで頭がいっぱいで他のことはしっかり考えることができませんでした。
勉強ももちろん手につきません。
一人の時間が1日のほとんどを占めていたので、その時間全て恋愛のことを考えていたように思います。
その恋愛も終わりがきて、味わったことのない苦しい思いを経験しました。
失恋直後から管理栄養士の国家試験勉強に本格的に打ち込み始めましたが、その期間に感じていた「孤独感」は凄まじいものでした。(失恋の痛みもあり、本当に辛い時期でした。)
沖縄には長年お付き合いしていた元恋人と元恋人のお母さんしか知り合いはおらず、いくら近くに住んでいるとはいえ毎日会うわけでもない。
そして、失業手当で生活していたので、誰にも会わずに一日が終わるなんてことがざらにありました。
そんな生活をしていると、一人でいることがとても怖く寂しくて、孤独が私自身を襲ってくる・・そんな感覚でした。
毎日朝から晩までLINEをやりとりしてくれる親友と友人にどれだけ心救われたか。
失業手当の認定日で人に会うことがどんなに嬉しかったことか。
たまに買い物に出かけて人の気配を感じることがどんなに安心したか。
元恋人がどこか出かけるのに連れて行ってくれることが、気にかけてくれることがどんなに幸せか。
人と関わらないことがこんなにも孤独で、こんなにも自分自身を追いやるなんて想像もしてなかった。
物理的に孤独というのは、本当にとてつもなく辛いです。
閉塞感がとてつもない。
でも、孤独を感じることができたからこそ、人との関わりの大切であったり、孤独に身を置くことがどれほど危険なことか身をもって知ることができました。
孤独を知ったからこそ、父が今感じているであろう孤独を理解することができるし、だからこそ寄り添うことができると感じています。
「孤独は人を弱くして狂わせる」
親友が教えてくれたことですが、本当にこの言葉の通りです。
人は孤独でいてはいけない。
孤独感を感じるようになってから、勉強する場所を近所の図書館にしてみました。
毎日人の気配を感じられる安心感があり、勉強のスピードもアップしました。
それでも家に帰ると孤独感が襲ってきていましたが、その時間が勉強している間は感じることがなかったので、図書館で毎日勉強してよかったと感じています。
図書館の閉館日は一日家での勉強になるので、孤独感が襲ってきて思ったより勉強が進まなかったな。
そんな毎日を続けているうちに試験2ヶ月前に風邪で一週間ほど寝込むことになり、勉強できない日々がありました。
寝込むと余計に孤独が襲ってきて辛かった。
試験一ヶ月前は図書館で風邪をうつされても困るので、家で勉強することに決めました。
この時期になると試験のことで頭がいっぱいなのもあってか、家で勉強していても孤独感に襲われることはなかったです。
今でもあの時の孤独を思うと怖いです。
でも、なんでもそうですが始まりがあれば終わりがある。
孤独にも終わりがあり、現に私は地元にいて孤独を感じずに日々を過ごしています。
自分が祈り続けて行動を起こすことで、自分がそうしたいと思うことに近づくことができる。
自分自身に挑戦を続けることで、いろんなことを乗り越えていけると思います。
管理栄養士国家試験への道のり
栄養士養成学校を卒業された方で実際に栄養士として働かれている方はたくさんおられると思います。
私もそのうちの一人です。
私の場合短期大学出身ですので、管理栄養士国家試験を受けるのに実務経験が2年必要でした(現在は3年必要ですね)。
国家試験を最初に受けたのは今から15年以上前です。
その時は試験をかなり簡単に思っていて、ろくに勉強もせずに試験を受けてあまりのわからなさに呆然としたのを思い出します。
その一回を受けたあと、10年以上試験を受けずに委託会社の栄養士として働いていました。
老健、有料、病院などで厨房業務と献立作成、発注などを長年続けていました。
そういった施設で働いていると、当然ですが管理栄養士の方と日々やりとりもあり、管理栄養士の業務というものも垣間見れます。
管理栄養士の方々の仕事を間近で見る機会に恵まれていたので、私自身やっぱり管理栄養士として働きたい、食を通して元気になる助けをしたいと強く思うようになり、再び国家試験を受けようと決めました。
試験を受けると決めたものの、委託会社の栄養士というのは結構なハードワーク。その上、責任者の立場も任されていましたので、日々の業務で精一杯で勉強まで手が回りませんでした(もちろん激務でも合格されている栄養士の方はたくさんいらっしゃいます)。
そんな状態での受験が3年ほど続いて、こんなことを繰り返していてもいつまでたっても合格できないと考えていた時に、仕事の方での負担が大きすぎて3ヶ月弱休職することになりました。
最初の一ヶ月は本当に何もせずに、ひたすら体と心を休めることにしました。
当初は仕事漬けの日々だった毎日から、何もすることがないことに私自身戸惑っていましたが・・・。
二ヶ月目の最初の一週間は、沖縄で気の向くままにゆったりと何も考えずに過ごしました。
そうやって過ごしているうちに、やっと国家試験勉強を頑張ろうという気持ちになれました。
復職しても、スキマ時間に参考書を読み込みそのまま試験当日までモチベーションを保つことができました。
でも、その年の試験は合格することができなかったんです。5点不足でした。
来年こそはと思いながら日々過ごしてましたが、やはりだんだんと仕事に自分の時間が侵食され始め、また勉強から遠ざかってしまったんです。
そんな状態でまた国家試験が近づいてきて・・・。
そんな状態でしたから、前年よりひどい点数でした。
とても悔しい思いをしたはずなのに、結局仕事を言い訳にして勉強を怠ったから、当然の結果でした。
いつまでもこのままじゃ延々と同じことを繰り返すだけだし、何より仕事の負担が大きすぎて自分の時間がほとんどとれない状態が何年も続いていたので、退職をして管理栄養士の試験勉強に打ち込もうと考え始めました。
長年お付き合いして今では家族のような元恋人に後押しされ、退職を決めて沖縄に移住することにしました。
元恋人の後押しがなければ、今でも以前の会社で働いていたと思います。
なので、元恋人には本当に感謝しています。
この時の判断があったからこそ、試験勉強に集中することができたので。
以前記事で書いてますが、沖縄に引っ越すと決めてから恋人ができたので、引っ越してからなかなか勉強に集中することができずにいましたが、親友と元恋人の支えがありなんとか勉強に集中することができました。
私は講習会などは一切行かずに、ひたすら過去問5年分の繰り返しとクエスチョンバンクを使って勉強しました。
とにかく「反復」することをひたすら続けていました。
復習することで勉強したことが頭に定着します。
そして、過去問をすることで傾向をつかめます。
あと、声に出して勉強することで、自分が発した言葉を耳から入れるのでさらに定着しやすくなります。
これらをとにかく集中して毎日やり続けました。
模試では合格点に一度も達したことのなかった私ですが、試験では合格点より20点以上高く点をとり、無事に念願だった管理栄養士免許を取得できました。
自分一人では心折れていたかもわからない状況でしたが、親友には本当に心から感謝しています。
毎日毎日LINEを送ってくれて、励まし支えてくれました。
元恋人もいつも気にかけてくれて、励まし続けてくれました。
自分自身管理栄養士になりたいと強く祈りながら頑張りましたが、親友と元恋人に合格したと伝えたいと強く思っていました。
人の思いは強く祈り続けて努力を続けることで叶うんだと、身をもって体験できました。
なりたかった管理栄養士になり、食で少しでも元気になってもらい、笑顔を増やしていきたいと思いながら日々仕事をしています。
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部屋探しについて
数個まえの記事で引っ越しについて書きましたが、引っ越しするにはもちろん部屋探しもとても重要です。
引っ越しの理由は様々あると思います。
私のように恋人を追いかけて・・や、就職、転勤、結婚等々。
どこに引っ越すにしても自分が暮らす「部屋」は、リラックスできて居心地の良い場所であることが必須条件です。
でも、家賃が高かったり、駅から離れすぎていたり、治安が良くなかったり・・と、悪い条件の物件も多々ありますよね。
地域や立地条件で雲泥の差が出てきたりします。
私は最初の引っ越しこそ、恋人を追いかけてでしたが、あとはほぼ仕事の都合での引っ越しでした。
仕事の都合で何回も引っ越しをしましたが、全て自分で部屋探しをし、引っ越し業者まで手配をして、料金だけ会社持ち(家賃ももちろんほぼ会社が負担してくれていました)、という手間だけど自分で納得した部屋を借りられるという環境にいました。
最初の方の数回は全て自分で支払いをしてましたけど、会社都合なので交渉して負担をお願いしました。
自分で納得した部屋を借りられる環境と書きましたが、もちろん妥協しないといけない点もでてきます。
そして、実際に住み始めるといろいろ不都合はでてきます。
少しでも悪い条件を省くために「内見」は必ず行くようにしてました。(他県への引っ越しの際は無理でしたが、その時はいつも以上に周辺の情報や治安等をネットで調べていました)
内見の際は部屋の隅々まではしっかり拝見し、隣や上の階の物音に注意してました。
なので、土曜日や日曜日に内見ができればベストなのかなと感じますね。
そして、建物周辺の様子も必ずチェックです!
周辺の景色でこの辺りはどういった感じであるのか、なんとなくでも読み取れることはあります。
あと、駅から部屋までの道も内見に行く際に教えてもらって実際に通って確認できるに越したことはないと思います。
あまり街灯がないところや人気のないところは避けないと危険ですしね。
部屋自体を探す際に私がこだわっていた点は、「お風呂・トイレ別」「独立洗面台」「1Rでも1Kでも部屋自体広いこと」「ガスコンロ」「駅近」「築浅(今の物件に住む前まで)」が主に意識していた点です。
「築年数」に関しては、築浅だから良いとか悪いとかはあまり関係ないようです。
1982年以降に建てられた物件であれば新耐震基準に基づいてるようなので、耐震性の問題を機にするのであれば、1982年以降に建てられた物件なら安心かと思います。
古い物件は結構リフォームされてるところが多いですし、築浅物件でいろいろトラブルが出てくるかもしれないことを考えると、どちらが良いとは言い切れない気もします。
ただ、私が現在住んでる物件は築20年以上のマンションですが、やはりリフォームされていて思ってる以上に綺麗ですし、何か不備があれば管理会社に連絡すればすぐ解決しますし、築浅に比べては安いし、そして部屋は広いし、といろいろ良いところはありますね。
自分自身が納得できる部屋に住めるのが一番良いですね!
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遠距離恋愛(6)
(5)の続きです。
恋人を好きな気持ちは相変わらずありました。
ひどいことをされ続けてとても傷ついたし、先の見えない恋愛でした。
でも、前の記事でも書きましたが好きな気持ちが強過ぎて、嘘をつかれても言葉と行動が一致していなくても前の人と繋がっていようと、最終的には私を選んでくれる、私と一緒にいてくれると心のどこかで信じていました。
裏切り続けられていたのに。
連絡を絶って数日後、恋人から腕時計が送られてきました。
別れ話の直前に手配していたようでした。
連絡を絶ってからの数日間だけでも、本当に胸が痛くて苦しくて涙もとめどなく流れ現実感が薄く、「虚無感」に占められていました。
そんな時に送られてきた腕時計。
すぐ、お礼が言いたいから電話してもいい時間を教えて欲しいとLINEをしました。
ちょうどその時期に恋人が住んでいるあたりで自然災害があり、すぐにもう一度LINEを送りました。
大きな被害はなく、仕事が終わってすぐに返信をくれて安心しました。
その日は電話しませんでしたが、翌日に電話で数日ぶりに話をした時会話も弾むわけはなかったけど、話しができて嬉しかった。
声が聞けて嬉しかった。
そして、最終的に友達として連絡を再開することに決めました。
形は変わってもお互いを大切に思う気持ちは変わらないと思っていたから。
でも、結局はお互いが友達としてでも繋がっていたかったんだと思う。
離れるということがやはり現実味がなかったし考えられなかったんだと思う。
たとえ連絡を絶っていたのが数日間だったとしても。
結局はお互いの未練が、「友達」という便利のいい言葉で繋がっていることにしたんだけど。
でも、恋人には前の人の存在が当たり前にあるわけで、でも恋人と私は「友達」だから何か言えるわけでも聞けるわけでもなくて。
「友達」という関係に縛られて身動きがとれなくなっていました。
友達関係に私自身苦しい思いがするから、恋人に「片思い宣言」をして、私の想いは伝えました。
友達になりたいけど今はまだなれないからって。
恋人同士ではないし、恋人の気持ちを縛ることなんてもちろんできるわけないし、してはいけないけど、私自身の気持ちをスッキリさせたかった。
宣言をした時は、恋人は笑って受け止めてくれました。
受け止めてくれただけで、もちろん友達のままですけど。
恋人と繋がっていても離れていても苦しい想いは変わらなくて、やっぱり連絡取らないほうがいいのかな?って私自身本当に気持ちが揺れすぎていて、とにかく苦しい気持ちを自分の中から取り除きたかった。
自分の気持ちから逃げ出したかったんでしょうね。
何をしても答えは変わらないし、それなら自分が決めた方で頑張るしかないと親友にも励まされ、いくら苦しくても現状を続けていくしかないと自分に言い聞かせました。
でも、この頃あたりになると私も恋人のことをもっと客観的に見ることもできるようになっていて、冷静になってきたというか、目が覚めてきたというか・・・。
好きな気持ちはもちろんありましたけど、今までされてきたことや私がいくら好きでも恋人は変わることがないだろうと感じたこと、未練だけで繋がっていたかったんだと気がつきました。
そして、好きだけど決定的に愛想をつかす出来事があり、私は今度こそ本当に連絡を絶つ決心をしました。
LINEはブロックしTwitterもブロック、着信・メールも拒否にしました。
そして、恋人からもらったものを全て送り返しました。
もちろん、最後にもらった時計も。
スッキリしたけど苦しいという矛盾した気持ちの中で日々を過ごしました。
でも、この時はまだLINEのやりとりも写真も連絡先も消すことができなかった。
消してしまいたかったけど勢いで消して後悔はしたくなかったので、自分の気持ちが整理できた時に消そうと決めました。
LINEのやりとりを見るだけでも心臓がバクバクして苦しかった。
写真なんて見れるわけもなく、でも消せもせず。
私自身の誕生日が近づいてきた時には、なんとかして連絡があるんじゃないかとか、いろいろ考えていました。
あるわけないし、あったとしたら相当な度胸の持ち主ですよね。
でも、いろいろあってもまだ好きな気持ちはあったので期待してしまってたんです。
数ヶ月経っても、「もしかしたら連絡をくれるかもしれない」、なんてことを考えていました。
さらに数ヶ月たち私の気持ちも整理できて、やっと恋人に関するものを全て消去することができました。
あんなにひどいことをされてもここまで好きでいられたのは何故なんだろうって思います。
何がそんなに魅力的にうつっていたのかもわからないけど、その時は本当に大好きでしたし、何をされても好きな気持ちは消えなかった。
人を好きになるってこういうことなんだと、少しはわかった気がします。
フィルターがかかってしまって、全て良い方に解釈してしまうんです。
親友に言わせると、恋した相手が悪かった、と。
私も本当にそう思います。
後付けになってしまうけど、人を見る目を養われたのかなと思います。
いくら良い言葉を並べても、行動が伴っていなければそれは「嘘」。
弱さに挑戦し、未練や情に流されず、自分の人生を生きていかないと。
遠距離恋愛(5)
(4)の続きです。
とうとう恋人に会いに行く日がやってきました。
辛くて痛い気持ちはあるものの、やはり一ヶ月以上ぶりに会える嬉しさももちろんありました。
決断をすると決めているけど、決断することが怖い気持ちもありました。
別れることになったとして、恋人と離れることに耐えられるのか?付き合いを続けるとして、現状のような関係を続けることができるのか?
どんな決断を下すにしても後悔だけはしないように行動しよう。今回が最後だとしても、二度と会えないことになっても後悔しないように。
でも、私自身別れ話をすることになるだろうと考えていましたし、別れることが私にとって一番いいことであることも感じていました。
親友に支えられてここまでくることができました。客観的に私がどんな状況にいるのか、恋人がどんな人間であるのか、そして朝も夜も関係なく私のことを支え、励まし、諭して、正しい道を示してくれていました。
親友がいなければ、きっと今頃ズタズタに傷つきそれでもまだ好きだと言い続けていたかもしれません。
話が逸れてしまいましたが、親友がいてくれたから私はそんな悲惨な状況にはならずにすみました。
親友のことは、また別の機会に書きたいと思います。
恋人が待つ空港に到着して一ヶ月ぶりの再会は、やはりお互いに少し照れがあるのかなんとなくぎこちない感じでした。
この時もしばらくしたらいつも通りになりましたが。
この日は遅い時間に着いたこともあり、ホテルの近くで夕ご飯を食べただけで終わりました。
LINEや電話じゃなく、手の届く距離にいる現実は本当に嬉しかったです。
翌日は恋人が立ててくれていたプランで過ごしました。
ドライブしながら恋人が普段過ごしている場所を巡ったり、名所へ連れていってくれたり、普段できない恋人らしいことができた日です。
でもそんな時でさえ、この近くが前の人の家があるところだと言われたり、前の人からもらったアクセサリーをしていたり・・と悲しい思いもさせられました。
アクセサリーに関しては、数少ない会える日に前の人からもらったものをしてきていました。
私が気がつかないと思っていたのかな。
指摘したところで、身につけてくることをやめてくれませんでしたけど。
そんな感じで悲しい思いもさせれましたが、でもとにかく後悔しないよう楽しみました。(アクセサリーの件で少し不穏な空気になりましたが・・)
そして翌日帰るという日の夜。
私は話を切り出しました。
私の口から出た言葉は「別れようか?」でした。
いきなりでしたし、納得してくれるはずもありません。
いくら話しても平行線でしたし納得してもらえなかったので、「じゃあ、友達として付き合っていこう」って言いました。
お互いが大切な人であることは事実なので、「それなら縁を切る必要ないしずっと繋がっていられる」と。
これで納得してもらえました。
そして、「私が飛行機に乗るまでは恋人同士だよ」って。
翌日は飛行機の時間が早かったのでゆっくりしている時間もなく、あっという間に時間が過ぎました。
空港で恋人と別れる時、もう会えないだろうなって感じました。
そんなことを感じながら離陸直前までLINEをかわし、空港の屋上から見送ってくれている恋人を見つけ、すごく泣きたい気持ちでした。
恋人の地元で会ったこの時が、一番私のことを想ってくれていると心から感じられたから。
沖縄に着き、部屋に戻るなり泣きました。
私のことを好きでいてくれるのに、それでもなぜ私を選んでくれないのか?
それならなぜ、付き合っている人がいながら私に告白してきたのか?
ただ、ぬくもりや安心感が欲しかっただけなのか?
いろいろ考えては涙が次から次へと流れてきました。
親友が、「もう連絡絶ちなよ」って。
そして私は決断しました。
夜電話で話がしたいと恋人にLINEを送りました。
そして、電話で連絡を絶つ話を切り出しました。
そしたら、やっぱり「なんで離れなきゃいけないのか?恋人でなく友達なのに?」
私は管理栄養士の国家試験を控えていましたし、勉強に集中したいとも言いました。
「それなら、試験が終わってから結論でもいいんじゃない?」とまで言いだしました。
恋人は自分のことしか考えてなかった。
自分に与えられているぬくもりにずっとくるまっていたかったんでしょうね。
口では私のことを想って心配してるみたいなことを言いますが、結局私の想いなんて考えることもなく。
言葉と行動が一致していないのが何より物語ってますよね。
前の人と縁を切れてないんだから。
電話で話をしても埒があかないし、恋人はまだやることがあったので電話を切りました。
そして、LINEで再度連絡を絶つこと、電話には出ないことを伝えました。
しばらくして恋人からLINEで返信がありました。
いくら離れることに納得できなくても、私が答えを変えることはないと感じていること、恋人は納得できていないけど、そうするしかないことはわかってくれました。
そして、私に会えてよかったと。こんなにも自分を見てくれる人はいなかったと。
(6)に続きます。
信じられないことに、それでもまだ私は恋人のことが好きだったんです。
遠距離恋愛(4)
(3)の続きです。
恋人が沖縄から帰ってしまってから次に会えるのは一ヶ月以上先になりますが、その間に私の気持ちは本当に疲れきっていきます。
好きな気持ちがあるから、私がどうにかできる問題ではないから、恋人が決着つけるべき問題であるから。
恋人が帰ってからはまた以前のように時間が許す限りのLINEのやりとりが始まります。
でも、LINEばかりで本当に電話っていうのが数えるくらいしかしてなくて、この事を親友に話すと「恋人同士でまして遠距離恋愛なのに、どうして電話しないの?いつでも会える距離でも電話で毎日話すよ」って言われた時の私の驚きの大きさ。
声は聞きたいし毎日話したいとは思ってはいたけど、恋人とのLINEのやりとりがあまりに当たり前すぎて、電話で話をするっていう事に思いが至らなかったですね。
以前の記事で書いた事ですが、恋人はLINEでは素直な感じなのに、電話で話すと素直じゃないというか天邪鬼な感じになるので、LINEのやりとりでの素直な恋人に安心していたかったのかも。
でも、文字にするっていうことはいくらでも嘘をつけるということでもあると友人に教えられました。
感情をのせることなく文字をうつことができるんだよって。
だからあまり電話をしたくないのかな?とも考えましたね。
だって、恋人は私と前の人と二股みたいな関係を続けていたから。
大抵は私から話を振らないと、前の人とどうなっているのか話してくれませんでしたし、それって誠実ではありませんよね。
誠実であるなら、最初からこんなことにはなってませんでしたけど。
以前の記事で書いてなかったことですが、恋人には前の人とのことがあるので一度友達に戻ろうと提案しました。
恋人は、私と前の人どちらも選べず、でもどちらの手も離せずにいました。
それって三人とも傷つくことですよね。
そして、最終的には恋人自身が苦しくなって、私の手も前の人の手も離すことになる。
そう親友は教えてくれました。
なので、私から手を離し恋人の苦しみをとることにしたんです。
私はもう友達だから、前の人とのことで悩んでることがあるならいくらでも話を聞くよ、なんの遠慮もいらないし、いつも気持ちはそばにあるよって。
恋人の苦しみを少しでも軽くできるなら良かったと思いましたけど、私自身は本当に辛かったし痛かった。
しばらくその関係を続けていましたが、友達関係のまま一度10日間連絡を絶ってみて恋人の気持ちの変化を聞いたことがあります。
私自身その10日間は本当にすごく辛かった。
あんなに連絡をとっていた大好きな人と連絡できない寂しさ・辛さ。
最初の三日間は本当に虚無感で胸が痛いし泣くことしかできなかった。
でもその三日間をすぎると少し気持ちに余裕ができるのか、いろいろ考えることができました。10日間がすぎたら電話で話すって決めていたこともあり、それがあるから頑張れたんだと思います。
そして10日後、電話で話す日がやってきました。
結論は、恋人の私に対する気持ちには以前に比べて冷めていました。連絡を絶っていた期間に前の人と会っていましたし、やはり好きでもなかなか会えない人より、いつでも会える前の人に気持ちは傾きますね。嫌いになって別れたわけじゃなかったんだし。
それでも、最終的には友達のままではなく、また恋人同士に戻るという結論になりました。私が諦めきれなかったし、恋人も私に対する恋心がなくなったわけではなかったから。
この結論が、私自身をさらに苦しめます。
客観的に見れば、まずお付き合いすることがありえない状況なのに。好きになりすぎるってことがこんなにも盲目になるなんて考えてもなかったです。
冷静に判断ができなくなります。
私とお付き合いはしているけれど、恋人と前の人の関係は「友達以上恋人未満」。
恋人に会いに行くまでに私の気持ちは、恋人のことを大好きな気持ちと、このまま付き合っていても恋人と前の人との関係が私をずっと苦しめ続けると感じている気持ちとで本当に辛かった。幸せな気持ちなんて感じられることがなかった。
親友に、「会いに行くまでに決心しなよ」って言われていました。
とても悲惨な状況であるのに、私は少しでも望みがあればお付き合いは続けていきたいと考えていました。
でも、私が望んでいることと、恋人が望んでいることは根本的に違っていたから、最終的には別れなきゃいけないことは私自身わかってはいたんです。
恋人は私との関係に安心感を感じていたので私を手放したくなかったし、前の人とも恋人関係ではないものの、それに近い関係を望んでいた。どちらも手にしていたかったんですよね。
そんな関係はもちろん無理だし、恋人だけが幸せで、私も前の人も不幸でしかない。
でも、恋人を好きな気持ちも消せない。いつまでたっても堂々巡り。
恋人に会いに行く日が近づくにつれ、別れるにしろ付き合いを続けるにしろ、どちらに話が転んでも決断しようと決心しました。
不誠実なことをされ続けているのに、それでも好きな気持ちを消せなかった。私のことだけをしっかり見てくれるなら、またやり直せるなんてことを考えていました。
そんなことを考えながら、ついに恋人に会いに行く日がやってきました。
(5)に続きます。